今回はなんでもない日常、そんな中にある「あるある」かも?な出来事。
そんなネタです。
気軽にみてってください。
気持ちがスッと楽になるでしょう。
ひと手間かかる料理、それが餃子
昨日、我が家の夕食は餃子だったのですが、餃子って正直めっちゃ手間がかかりますよね。
私は餃子が大好物で、特に家庭で作るパリパリな感じのが好きなんですが、その反面作るのは大変だと感じます。
まず野菜を細かく刻むじゃないですか。
刻んだら野菜の水分抜いて、挽き肉と調味料を入れてこねる……。
そうして具ができたら餃子の皮につつむ……。
包んだ餃子をフライパンやらホットプレートやらで焼く……。
どうでしょう。
ただ切って炒めて味つけて、はい終了!みたいにはいきません。
「具を皮につつむ」みたいなちょっとワンクッションが必要な料理なんですよ。
こういうひと手間が加わる料理って、日常の料理としてはけっこうハードル高いです。
まず、野菜を細かく刻むところからして料理つくる人からするとけっこう面倒くさいです。
とりあえず野菜炒めとかなら、ザクザクと大雑把に切って終わりなところ、餃子などはそうもいきません。
食べると美味しい、やってみるとまあまあ簡単、でも絶妙に時間がかかる、それが餃子です。
ちなみに餃子の具材といえば、豚挽肉、ニラ、キャベツ(白菜)が一般的ですが、今回はニラの代わりに長ネギを刻みました。
応用が効くのは餃子の良いところですね。
餃子の難関、それは具を丁度良く使い切ること
さて、そんなこんなで餃子な話ですが、まあネットで探せば餃子のレシピなんてすぐ見つかるわけです。
分量も何個分で、何の食材がどれくらい必要かわかります。
ところがここでひとつ問題が。
いざ分量通りに餃子の具を作っても、皮にどれくらい具を包めばいいのか。
特に包みはじめた序盤なんて、皮も具もたくさんあって感覚を掴みづらいんですね。
「皮に具を包む」ことは、いいかえれば暗中模索の旅です。
「これくらいならいけるか?いや、ちょっと減らすか?もうちょっと盛ったほうが余らないか?ん?なんだか具が足りなくなりそうな…」
そんな風に手探りであちらこちらと迷いながら、自分の感覚を研ぎ澄ましていかに丁度よく具を使い切れるか。
皮に具を包む、とはなんと難しきことか。
ちなみに最初に気持ち盛りすぎると、後半になって具が足りなそう問題に直面します。
しかし具を使い切って皮が余っても大丈夫です。
最終奥義は餃子の皮をそのまま焼けばいいのです。
醤油垂らして食べればちょっとしたスナックになります。
逆に具が余った場合も、具をハンバーグみたいにして焼けばよいのです。
とまあ、なんとかなるわけですが、どうせなら使い切りたいと思うのが人間の性でしょうか。
餃子を食べるとご飯がほしくなる
そんなこんなで完成しましてラーメンと一緒に食べたのですよ。
しかし焼き餃子というのは不思議なもので、どうしても白いごはんが欲しくなるんですよ。
餃子って炭水化物の皮で包んでいるからごはんと合わせなくてもいいじゃないですか。
でもやっぱりないと寂しく感じます。
餃子にタレ(私は醤油と酢とラー油を混ぜますが、酢がちょっと多めな感じが好きです)をつけて、ごはんと一緒に食べると最強……!
餃子にごはんは諸刃に剣でもあります。
ごはんと一緒に食べると、満腹になるのが早くなって、餃子をたくさん食べられなくなります。
ごはんを食べなければ餃子をたくさん食べることができますが、ちょっと物足りなさもあります。
ごはんを食べるか、食べないか、究極の選択が餃子にはあるのです。
手間はかかっても餃子は美味しい
餃子がいかに手間がかかるのか、そして具が足りるのか、余るのかというセンシティブな問題があるのかを語りました。
しかし、なんだかんだいっても食べると美味しい。
それが餃子であり料理です。
食べ過ぎてお腹が苦しくなるのも、また料理の一面です。
今回はこんなところですね。
お仕事は家で料理ができるくらいのほどほど加減にしたいですね。