いまどきもあるのかわかりませんが、昔は「ゲームは一日1時間」みたいなフレーズを見聞きしたことはないでしょうか。
このフレーズはたいてい親から子へのしつけだったり、ゲームは悪、というイメージで使われる気がします。
子どもの頃からゲームとともに人生を歩んできた私としては、この言葉には異を唱えたいところです。
(※ゲームのやりすぎは健康上よくないので気を付けましょう)
しかし、考え方を変えるとこの言葉にも良いところがあるのではないか?
ここでは、ゲームがもたらす人間への影響を科学的にではなく、ひとつの思考法として考えてみたいと思います。
その思考法とはずばり、「切り替えの技術」として捉えるということです。
ゲームを1時間プレイするとどれくらい進められるのでしょうか。
スーパーファミコンくらいのハードのゲームだったら、現代のゲームと比較してそれなりに進むかもしれません。
ストーリーだったりステージだったり。
しかし、今のゲームで1時間ってどうでしょう。
昔のソフトよりも圧倒的なボリュームを持っているタイトルが多いはずです。
タイトルによっては1時間プレイした程度だと、
チュートリアルが終わったくらいの段階までしか進まない気がします。
操作方法は複雑で習得するのに時間がかかるし、ゲームとしての情報量も多い。
スーパーファミコン(あるいはもう少し進んでPS1くらい)の時代であれば、
1時間のプレイでもそれなりの満足度を得られたかもしれません。
しかし、現代とあっては1時間では大してゲームが進みません。
ゲーマーから見たら、ゲームは一日1時間はとても短いのです!
一日1時間しかできなかったらゲーマーにとって絶望です!
しかし、ここで見方を変えてみましょう。
この1時間とは、自分ではどうにもならない制約です。
ゲームの進み具合がどんなにあっても、1時間経てばシャットダウン……。
強制的に終了する力を持っています。
このことを、何かの作業や仕事に置き換えて考えてみるとどうでしょう。
どんなにあがいても迫ってくる「締め切り」といえるでしょう。
何かのタスクや作業、創作などをこなすとき、それを終わらせるためには大きく2つの方法があるでしょう。
1つはその作業が完了するまでやりとげること。
もうひとつは、時間で区切ることです。
何をもってして完成とするのか、「できた」といえるのか。
突き詰めると、自分が納得しないかぎりいつまでも100%の完成形を求めてしまうのではないでしょうか。
しかし、永遠にその作業に没頭することはできないですし、どこかで必ず終わりにしなければいけません。
そんなとき、時間で区切られることで、私たちは作業を終わらせることができるのではないでしょうか。
仕事だったら、この資料をいつまでに完成させなければいけない、みたいな……。
この「いつまでに」という締め切りがあることで、ひとまずその作業に決着をつけることができる。
そうして次に進むことができる。
私たちは日々時間に苦しめられ、なおかつ助けられているのです。
こうして考えてみると、「ゲームは一日1時間」という言葉に、健康上の理由以外の有用な意味を見出すことができます。
それはひとつの思考技術としてです。
忙しい現代人にとって、数多くのタスクをこなさなければなりません。
いつまでもひとつのことに集中できたらいいのだけど、それは現実的に難しいです。
となれば、それはどこかで区切るしかないのです。
何かの行動から別の何かに切り替える意識が必要です。
「ゲームは一日1時間」という言葉は、その訓練とも捉えることができるし、
作業を区切ったり切り替えたりするための考え方に通ずるのではないでしょうか。
今回のまとめです。
ダラダラと作業してしまうときは、時間で区切ってしまうといいかもしれませんね。
まあしかしゲーマーとしては、やっぱりゲームは何時間でもやりたいですけどね!(笑)